「彼、長考に入ったわよ」
そう、その通り。僕は長考に入った。すごく深く考えている。将棋の羽生名人みたいに。
次に何を口にすべきかを。
ぼくは先の先を読んでいる。
ぼくの人生で一日だけでも、ぼくの予想したとおりの会話になるように。
リアルに他人が関わることだから、ぼくの思いどおりにできるわけじゃない。
だけど、まわりの人たちの言うことを「読む」ことはできる。はず。
だって僕はシナリオライターだから。しかも、とびっきり優秀な。
基本的な計画は何も難しくない。でも僕は今日、僕の視界に入るだろうすべての人の性格を分析し(だれが視界に入るのか自体、僕の行動計画を基にもちろん計算済みだけど)、人間関係を調べ上げ、最近の生活や今日の体調を探り、さらに今日の行動パターンを緻密にシミュレーションし、これまでの発言パターンと掛け合わせて、「今日、何を言うのか」を弾き出してある。
でも、100発言先までが限界。どこかで誰かが何をとち狂ったか、予想外の発言をする可能性をどうしても排除できない。
ところで羽生名人は1000手先までも1、2時間で読むそうだ。
そして彼の場合、美しい譜面は突然に、偶然に訪れるらしい。
僕にも、そんな美しい瞬間が訪れるのだろうか。
すべての時の流れが、偶然の連なりがシンクロして、デジャヴのようにMagicalな刹那が訪れることが?
読んで、読んで、読みつくして、読み切って、その通りに展開する快感!
でもその完璧な読みさえも遙かに超えるという奇跡が、僕の人生に果たして起きうるのだろうか?
そのために、僕は、星の数ほどあることばのなかから一体どのことばを選ぶべきなのか?
そして僕は、こういう瞬間を心から愛おしく思う。
「彼、時々この長考に入っちゃうのよね。これ、なんなんだろ。どうする、ほっといてランチ行っちゃう?」