朝起きた時に、あれ、いまいつ?ここどこだっけ?と思っても、
記憶喪失になっても、自分が誰だかわからなくなったとしても、
これが自分である、という意識はなくならないですよね。
鏡を見て、自分の顔だと確かめなくても、わかりますよね。
でも、なんでわかるんですかね?
自意識を作っているのは記憶ではないですよね。
だって、不老不死を望む科学者が、
自分の記憶をすべて蓄えた人工知能を作って、
人工臓器まみれのからだに据え付けて、
バージョンアップや半永久的メンテナンスを可能にして、
さて自殺しました。
でもメインが死んだら、サブに意識が宿るのかと言ったら、
移らないような気がしますよね。
そうすると本体のどこかにあるんですね。
そうするとやっぱり、
その脳に固有のものということになりますね。あるいは肉体の。
じゃあ、自分が自分であるという意識はどこにあるんですか?
赤ん坊の時にはないですね。
他者を認識するようになってからですかね?
お母さんとか。
お母さんの乳首をくわえる。
自分の指を吸う。
なんか違う感じ。
あっちがママで、こっちが違うもの。
「こっち」が集まったものが、自分。
でも、他者に会う前、生まれた時から記憶があるというひともいますね。
わたしこれから生まれるんだと思ってたら、
細い穴から抜け出した、とか。
確かにそこに、「わたし」、いますね。
じゃあ、生まれる前から、自分はいます。
何をもって自分という意識は生まれたんですか?
それがわからないから、
朝起きて自分の顔を鏡で見ても、あれ?
これ自分だっけ?と思うわけですが、
もちろんそんなもの考えてもわからないので、
タオルを手に取ってさっさと次にすべきことにとりかかるわけです。
何せ、私たちは忙しい。
そうやってバタバタしているうちに、
死がやって来て、そこでテレビが消えるみたいに、
たぶんプチって突然切れるんです。
たぶんです。
だって生まれる前から自意識があるのなら死んだ後にだってあるかもしれないんだし、肉体にしか宿らないという証拠もないし。
でも、気になるし。
ちょっと確かめてきます。