読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

逃げ恥花火、上から見るか?、横から見るか?どっちにしても応相談で。

映画やドラマ、読書、音楽、デザインとか

「逃げ恥」終わりましたね。

 

意外にも、みくり、部屋を丸く掃く大雑把な性格をカミングアウトしてしまい、これまで積み重ねてきたものが、「仕事だったから」の一言で崩れ落ちていってしまいました。

 

不思議なもので、そうなると、12時過ぎたシンデレラのように、まとっていたオーラが一気に失われてしまい・・・

 

おとぎ話は最後までおとぎ話のままでよかったはず。なぜリアルな夫婦のすれ違いをシミュレーションしなくちゃいけないのでしょうか。いまさら。

 

そして、みくりの「小賢しいコンプレックス」の深さにも驚かされます。そこはもうよくないですか?それこそ、くどくないですか。

 

平匡も、こういうふうに言うんですよね。

 

「小賢しいって何ですか?・・・言葉の意味は分かるんですが、小賢しいって相手を下に見ていることでしょう?僕はみくりさんを下に見たことはないし、小賢しいなんて思ったこと、一度もありません」

 

この言葉がみくりの琴線に触れたみたいですが、下に見るとか、上に見るとか、そういう問題なんですかね。みくりは何がそんなに嬉しかったのか、よくわからなかったです。

 

そもそもで言うと、雇用主と従業員って、上下関係ないですかね?

 

「下は冷えます」って、上下関係ないですかね?

 

そういう上下関係が、みくりは心地よかったんじゃないですか。契約という名の下に。だって、仕事だから。ただの仕事だから。本当の、わたし、じゃないから。

 

雇用関係にあるのに見下したりしない、あくまで対等、小賢しいなんてまさか思わない、そういう誠実な平匡にみくりが萌えたとすれば、その前提条件である「雇用関係」がなくなった時にどうなるのか、そこを確かめたかったのかもしれませんね。

 

でもやっぱりうまくいかないですよね。「雇用関係」という前提条件を外してしまうと、見下したりもしない、小賢しいとは思わないって、恋人同士なら当たり前です。平匡はごく普通の男に過ぎなくなってしまいます。

 

だから理想の関係はむしろ最初にあったわけです。そもそも平匡は「僕は結婚しません」って言ってたわけですから。そうすると、意外とやっぱり二人の関係を最初に戻すのが最善だったかもしれません。でもそれはそれでハッピーエンドじゃないような気もするしというジレンマでゴールがどこにあるのか見失ってしまった感じです。

 

だから恋人同士なのに、上とか、下とか、そういうの、ほんとに最後の最後になってまで言ってるのが変に聞こえてしまう。

 

「打ち上げ花火、下から見るか?、横から見るか?」みたいなことで、どっから見たって丸いものは丸いんだし、好きな人は好きなんだから、見上げるとか、見下すとか、どうでもいいんじゃないですか。

 

ふつうのラブストーリーだとすれば。

 

ふつうのラブストーリーだとすれば、この会話ってどうなんでしょう。

 

「これからどうしましょう?」

「何でもいい気がしてきました」

 

何でもいいって・・・ほとんどもうラブストーリーとしては職場放棄ですね。

 

「模索は続きます」

「そうですね。続けていきましょう」

 

これじゃあどこへも辿り着きません。応相談って言ってる場合じゃありません。終わりがあるドラマなんだから(つづきはあるかもしれませんけど)、とりあえずきちんと終わらせてくれなければ困ります。

 

ほんとに最後うまく幕が引けたドラマは最近皆無ですね。

 

大団円を迎える高揚感に持っていかれてしまうのか、そこまで丁寧に築き上げられてきたものがガラガラと崩れ落ちていく、そんな感じばっかりです。

 

最後はみんながみんなそれぞれの相手を見つけて、パズルのピースが全部はまったような満足感でいっぱいのなかで、一番リアルに頑張ってたシングルマザーの真野恵里菜の行く末だけが回収されてないのもどうなんですか。ほったらかしじゃないですか。っていうのも気になる。

 

最終回がベスト回、そんなドラマがいつ見られるのでしょうか。

 

「永遠にたどり着かなければいいのに」

 

という最終回前の気分が好きだっていうだけの、私の勝手な趣味ですけどね。