Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

「逃げ恥」最終回に永遠にたどり着かなければいいのに!がんばれ星野源、いつか「愛」が歌えるその日まで

リーガル・ハイ」でガッキーを朝ドラ女優となじっていた堺雅人演じる真田幸村長澤まさみ・きりの口吸ってたりしたいなら『逃げるは恥だが役に立つ』って言ってあげたいところですがそんなことでは後の世で戦国最強と言ってもらえないし好きに生きてもらうというか死んでもらうとして、いったいどうなる「逃げ恥」最終回?原作を読んでないとムズムズしますね。このムズムズ状態が好きでドラマ見るわけですけどね。

 

『「逃げるは恥だが役に立つ新垣結衣星野源が選ぶ”ムズキュン”シーンSP』が公式サイトで見逃し配信されています。すごく愛情込めてまとめられていますのでおすすめです。

 

www.tbs.co.jp

 

ところで、この番組の定義では、

 

ムズキュン・・・ムズムズじれったいけど胸がキュンとすること

 

これってそういえばだいたい星野源の歌もそうですよね。

 

ということで、このドラマって、星野源新垣結衣の歌の世界にインスパイアされたミュージカルなんじゃないかっていう仮説でいきます。

 

例えば、台詞というより歌詞に近いやりとりが台本にあります。ときどき。

 

みくり「醸しましょう 新婚感」

平匡 「出しましょう 親密感」

 

ここまで韻を踏むかなふつうっていう。コール&レスポンスというか。下手をするとローカルテレビのCMですが、今をときめくスター同士がやりますのでそうは聞こえませんけど。

 

【くせ】

 

平匡という名前は、この物語を動かしていく「くせ」を表しています。

 

平・・・👓

匡・・・歪んだものを元どおりに直す

 

「平」はたぶん眼鏡をかけた平匡の顔を表します。点々が👀です。縦線は鼻筋です。

 

つまり、歪んだ(「不正」を縦に書くんですね)眼鏡を平らに直す仕草です。これは彼の癖ですね。

 

癖・・・ある人が無意識に行うちょっとした動作

大辞林より。以下すべて)

 

無意識だからこそ癖なんですが、じゃあその無意識の底にあるものはなんなんだ?ということで、たぶんそれは「他人を受け入れることへの恐れ」、その究極の行為である、「他人を愛することへのためらい」、さらには「極端に低いがためにすぐに砕け散ってしまいかねない自尊感情を守ろうとする自己防衛本能」であって、わかりやすく言うなら、『シン・ゴジラ』で日本政府は一度は壊滅されてしまったわけですが平匡にとってみくりは突然上陸したゴジラのようなものだった、とも言えなくもないわけです。星野源平泉成臨時総理のモノマネをするのも偶然ではなかったはずです。

 

そこで流れるのはたぶんこの歌です。

 

www.youtube.com

 

星野源が『働く男』(文春文庫)で書いているのですが、「実は童貞の友達の歌」だそうです。「自分の天井をぶち破る曲が作りたかった」とも。ぶち破りたいのは「壁」ではなく「天井」なんですね。上昇志向です。どっちにしてもこのMVのどこでもドアみたいな枠はそういう自分の限界を象徴しているのでしょう。ここからどこへでもという。

 

夢を外へ連れ出して

頭の中から世界へ

見下ろす町を歩き出せ

 

夢を外へ連れ出して

妄想その手で創れれば

この世が光 映すだけ

 

すでにここに「妄想」というキーワードがあります。この歌詞のモデルになったのは「寺坂さん」という方で、 一緒に踊っている振付家の井出茂太さんではないです。恋ダンスの振り付けも井出茂太ではないです。寺坂さんがその童貞の友達なのかどうかは知りません。いずれにせよ、その昔の童貞という言葉の持つ、どうしようもなく悪臭が匂い立つようなニュアンスは最近はたぶんなく、もしそうでなければ、この手のつけられない平匡さん人気はありえないわけですから。そして「逃げ恥」で妄想するのはみくりのほうであって、童貞の平匡は本来なぜか全く妄想しないわけですから。

 

【くすぶる】

 

「くせ」というのを紙の辞書で引いてみると、この言葉の周辺に「逃げ恥」に関係する言葉がたくさん見つかります。

 

燻る・・・火がよく燃えずに、煙ばかりが多く出る。家や部屋の中にこもったまま、これといったこともせず、陰気に暮らす。

 

平匡と出会う前のみくりの状況です。

 

【くず】

 

みくりは、心理学で大学院まで出たのに(出たから?)ことごとく入社試験に落ちて行き場を失って自尊感情を彼女は彼女で失っていたわけですが、大辞林では【くず】の定義にこう書かれています⦅役に立つものやよいものが選び抜かれたあとに残った、つまらないもの。かす⦆。「役に立つ」がこんなところに出てきましたが、就職戦線に当てはめてみるとものすごくひどい書きようです。でも、そのようにみくりが自分を「何の役にも立たない」と極端に自己卑下するところからこのドラマは始まるわけです。

 

辞書ではこのあたり、「くじける」「ぐずぐず」「ぐじゃぐじゃ」「くじゅう」「くじょ」「くじょう」「くしん」「くすむ」「ぐずる」とネガティブな言葉が豊富です。

 

みくりがそういう言葉にまみれたネガティブモードから逃避するためなのか単なるくせなのか妄想に入るときにみくりがするのは深ーいまばたきでした。その話は前にもした気がするので深入りしませんが、『ニュース2👂』のオープニングでもお辞儀するときに深ーいまばたきをしています。これはスタッフに渡されたという資料を見て研究したのでしょうね、長いまばたきをするとニュースに出てくる女性キャスターっぽいということでしょうか。「わたしは緊張してませんよお、冷静にニュースをお伝えしますからねえ」というアピールかもしれませんね。ここではゲスト専門家でしたが。

 

そんなことして遊んでるといつの間にか妄想が現実世界にも侵食していたらしく「詮索するのも分析するのもやめてください」と平匡に言われて、ショックのあまり放心状態となるシーン。右目のまぶたをコンマミリ単位で下げてフラットな線にして、左目と右目とで視線の高さを少しだけずらす。ここで黄色いボーダーのカットソーを着ているので、その平行線の効果で目線の高さのずれも際立って見えるというわけです。焦点が合ってないだけの放心状態なら誰でもできるんですが、左右でずらすのは簡単じゃないはずです。だって右目と左目のまぶた、別々に動かせますか?このようにマンガのように誰にでもわかる記号的な演技、言ってみれば漫画家が微妙なラインをめぐって緻密に修正するような「くずし」が、ガッキーめちゃめちゃうまいのです。といいますか、普通の人にはない神経が顔面に通っているのです。チアリーダーとかバスガイドさんとか、ちっちゃいガッキーが何万とガッキーのからだのあちこちにいて、指示を出しているんでしょうね。たぶん周波数が高過ぎて他人には聞こえないんでしょうけど。

 

「人のこと、勝手に分析して批評して、何様なんだよ。何でそんなに偉そうなんだよ」

 

と昔の彼氏のシンジ君に言われるわけですが、そのシンジ君の目は見せないんですよね。葉山奨之君という「まれ」にも出てたそれなりに売れっ子の俳優さんなのにですよ。そしてガッキーだけ目が見える。ガッキーの目の演技だけに視聴者の目線を集中させようという意思が演出側に明らかに存在するわけで、そういうところ容赦ないんですよねこのドラマ。

 

ここで彼女は「目がテン」になっています文字通り。でも黒目の大きさは猫じゃないんだからいくらガッキーでも小さくはならない。のでもちろん目を見開くのですが、ここで両目でやるとさすがにやりすぎに見える。というのはみくりは心底驚いているわけではなく、どこかで心当たりがあるわけです。でないと、いまのみくりにつながりません。こういう心当たりの一切ない人は一生気付きませんし、治りませんからね。ので右目だけ見開きます、黒目の上下に白目が侵食し(現実に妄想が侵食するように)、目がテン状態になり、さらに右の眉だけがつり上がる。一方で左目はわりとそのまま。たぶん、彼女は基本的には右目を中心に操作して繊細な演じ分けをしている、つまり、半分は冷静で、半分は動揺して、ということです。

 

こういうときみくりはほんとにもうぐじゃぐしゃです。

 

でも彼女はその後、「くず」ならぬ「ゴミ」の日である火曜日に希望を見出すのです。

 

【くすぐったい】

 

 みくり 「火曜日です」

平匡  「?」

みくり 「ハグの日、ですよね?」

 

なんともくすぐったいやりとりです。「ハグの日制定」は「くず状態」から抜け出すためにみくりが思いついた数少ないグッドアイデアだったわけですが、なんか「ハグ」と聞いただけで見てるほうはくすぐったくなります。

 

ガッキーの歌う「hug」という曲、これこそムズキュンです。ガッキー作詞です。ガッキーの中にもともとみくりはいるのですきっと。ハグと言えば僕的には前借りハグがベストです。ふわりと包むあの優しさ。あのときガッキーの腕は、天から降りてきた天使がその羽をたたむかのようです。空気の抵抗など存在しない、月面のようなその軽さ。奇跡としか思えません。

 

愛しいものは抱きしめよう

おとずれる一瞬 動き出す私

きっと決めつけないままでもいい

泣いたって笑ったって 全部まとめてhug

 

確かめたい人はこちらを。キュンキュンくすぐる名盤です。前からずっと言ってますけど。「恋」よりもこっちがテーマ曲になるべきです。恋ダンスは踊れませんが。

 

wmg.jp

 

持ってるよという方は、同じく彼女のアルバム「虹」のNaked Voice versionを。びっくりします。アカペラバージョンというか、歌詞をささやいているだけですから。ムズムズどころではありません、ガッキーファンは悶絶しますから要注意。

 

【くずれる】

 

前借りしたせいで火曜日の夜にhugできなくなったみくりがhugの前借りの前借りを借金の自転車操業みたいだと平匡に断られ(いま思うとヒドイ奴だ、それを笑顔で受け止めているガッキーのいじらしさは何だ)、なのに平匡はそのギャップを知ってか知らずか、いや実は分かっていたうえでの高等テクニックなのかもしれませんキラーフレーズを放ちます、それが「下は冷えます」。しかも上に座った雇用主からの上から目線の。ただイケメンだっていうだけの大谷亮平がかわいく見えてくるほどです。「どうぞ隣に座ってください」では命令っぽいし、「ここ空いてますよ」じゃ映画館みたいだし、僕はいまは椅子に座れる身分だけど、地べたに座る切なさも知ってるからねそれなりにっていう。ほんとに下手をすると嫌な奴にしか見えないところを救うのはやはり音楽なのですということで、パラランと奏でるピアノの音。『いつ恋』の主題歌、手嶌葵の『明日への手紙』のイントロとそっくりです。

 

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たぶん、このささやかなメロディーにみなさん、ずっと騙されてますよ。

 

そしてみくりは「失礼します」と入社面接のように律儀に挨拶をし、ひとつのソファーに座ります。この辺からですね、ふたりの関係がくずれるのは。雇用主と従業員が用もないのに同じソファーに隣り合って座るという状況はありえないわけですから。そして今にいたるまで、二人の関係性はどんどん崩れ続けているわけです。この日本的なシステムと、これもまた日本的な「くずしの美学」。

 

このシーンについて星野源は、「ちょっと距離あるんですけど、その距離感も含めてもう、ムズムズするというか」と言ってますが、

 

「君の中にあるもの 距離の中にある鼓動」(星野源『恋』)

 

と歌ってるわけです。それが毎週エンディングで歌われているわけですから、平匡も、歌手・星野源も、それを分け隔てる壁は最初から意図的に崩されていて、ドラマと主題歌のタイアップ的にはこれ以上ないレベルに達しています。「恋ダンス」のダンスばかりがフィーチャーされていますが、その歌詞で強力に刷り込まれているんですね、ドラマの核心が、視聴者的には無意識に。

 

その「距離の中にある鼓動」は、温泉旅行から帰ってくる電車の中での、つまり初めてキスするときですけど、そのときに星野源が感じたという離れているけれどガッキーから伝わってきたという心の震えという話ともつながっていて、「二人の気持ちがつながっているとき、大体動きが一緒なんですよ」というのは長年寄り添った老夫婦、あるいは長年飼っている犬と飼い主みたいなもので、ガッキーファンとしては気持ち悪いことを言わないでほしい。しかもこれをのたまっている星野源のバックに弦楽器の美しい調べ。何だこれ。そんな個人的な感動にまでみんなで付き合うのはどうなのか。そこまで応援したいのか。

 

しかし、ガッキーが選ぶムズキュンシーンは、すっごい悩んだと言いつつ、

 

平匡「疲れた」

みくり「お疲れさまでした」

 

これは、その「距離の中にある鼓動」がなくなった瞬間でもあるんですね。平匡が「癒される」と言います。ハグして距離がゼロでも埋まらなかった「距離」がついになくなって 、鼓動もおさまって、癒しに変わる瞬間です。

 

星野源は「た」を半分飲み込んで弱く言い、ガッキーがその分、「た」を強く言います。私が元気を足してあげるから、的な。癒してあげる、的な。ここは見事に左右対称的に、同時にお互いに歩み寄り、同時に手をあげて、同時に体を寄せ合っています。どっちがリードすることもなく。電車の中のキスのようにガッキーがリードしてあげる必要はもうなくなったんでしょう。

 

もちろん、この「癒し」こそが、「逃げ恥」と歌手・星野源をつなぐものであるわけで、それは抽象的な意味だけではなく、具体的に同じ手法が使われていたりします。

 

たとえばセーラー服のガッキーが登場する回想シーン、いくら28歳でもガッキーですよ、どう避けたってかわいく見えないはすがないのに輝いていないという、どうしたらそんなことが可能なのか、そのあたりが地味にスゴイですけど、東京に出てきた地方の高校生がエスプレッソを知らず、ぼったくりなのかと驚きながらも「小さい、ですね」と、感情を荒げないというような設定なのかというシーン。あくまでシミュレーション出演の星野源が「小さいですね」ではなく、「小さい、ですね」の「、」が重要で、ここをピークに、イントネーションが上がって、また下がる。これってこの曲もそうなんです。

 

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気持ちを持ち上げて、ゆっくりと下ろす。言葉を問い掛けてきて、でも問い詰めず、自分で引き取っていく。会話のような、でも独り言のような。共感のような、孤独のような。寄せては返す「さざ波」のような、その繰り返し。MVが水辺だったりするのはたぶん偶然じゃありません。その波がふっと止まるような、その一瞬の「、」が、何かわけのわからない焦りに日々追われてるような気分が消せない女子たちを、やさしく包むのでしょう。みくりの公園での天使のハグもまた、そんな時が止まるような一瞬でした。そこに何か永遠を見るのです。若き姐御、真野恵里菜がベストに挙げていたのも納得です。

 

そして、カフェの若い二人はハモるのです。

 

「苦っ」

 

動きもハモっていますが、それは星野君、くどいですが当たり前ですからね。同じタイミングでセリフを言うのですから、カップを持つ手の動きもハモります。勘違いのないように。

 

さて、その「さざ波」がこれにつながります。

 

【みくりの選んだ津崎の名言ベストテン】

 

⑩ささやかですが

 

ささやか、漢字で書くと、細やか。ちなみにさざ波も漢字で書くと、細波、です。星野源はこの「ささ」をとてもきれいに発音してますね。このセリフの大切さを理解しているからですね。辞書を見ても「ささ」の音で始まる言葉はいい意味の言葉ばかりです。「支える」「捧げる」「ささやく」「細雪など。例外は、「ささくれる」でしょうか。ときどきみくりはささくれますが。鶏のささ身はどっち?サザエさんは?とか、いろいろありますが、「細」にしても「笹」にしても、音感からか、さらさらした繊細な印象がありますね。原作者か脚本家か知りませんが言葉の選び方のセンスですね。「佐々木」はどっちでしょうね?いずれにしても、朝ごはんを食べながらは普通聞かない言葉なので、新鮮な印象がありますね。

 

⑨家事をお願いしてよかった

 

網戸の掃除ねなるほどね。いまはそういう季節ですね。確かに一年に一回しかやらないけど足りないのかもしれないですね。

 

⓼上を向いて働こう

 

平匡に「下を向いて働かなくていいんです」と優しい言葉をかけられてハグしたくなったみくりが、「アメリカ人ならよかった」って言うんですが、「こんなとき普通にhugができるのに」みたいなことを言ったはずですけど特集ではカットされていますがなぜ?アメリカ人なら誰でもすぐにハグするわけじゃないとどっかから抗議があったんでしょうかまあそれはどうでもいいですけど。

 

⑦バニラ

 

甘い香り。そうだ、夕べ、このベッドでみくりさんが寝たんだ。

 

その香りは、この曲のような、「首筋のパンのような匂い」なのでしょうか。歌手・星野源は「首筋のパンのような香り」とは言わないわけです。そういうおしゃれ系では伝わらないリアルな何かを彼は伝えようとしているのです、おそらく。

 

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まるですぐそばでみくりさんが一緒に寝ているような。

 

そして、眠っているみくりが、ゆっくりと、まぶたを開けるのです。それはまさに奇跡のようです。考えてみればこれはすごいパンクでファンキーなことです。この世の中で、妄想でもいいから、夢でもいいから、ベッドの隣でガッキーがその大きなまぶたを開けてはくれないだろうかと思わずにいられる男子がどこにいるでしょうか。そしてさらに!ガッキーがにこっと微笑むのです。これはもう平匡でなくとも飛び起きずにいられません。もしかしたら夢を跳び越えてもはやホラーの域に近いかもしれません。布団カバーの柄は楳図かずおのように横縞ですし。ついでにベッドのヘッドボードも横縞です。そう言えば「よこしまな気持ち」のよこしまって「邪」って書くんですね。知らなかったです。「横縞な気持ち」だと思ってました。匂い消しではなく邪気払いなら平匡のようにエアーをかけるのは理に適っているかもしれませんが。

 

 たかが匂い。されど匂い。

 

やっぱりきた。星野源の「匂い」への偏執的なこだわりへのオマージュでしょうか。たぶん星野源はガッキーとハグをしているとき、無意識にでも匂いを嗅いでいるはずです。そこに他意はありません。習性です。

 

「たかが・・・されど・・・」みたいな微妙に古い感じの言葉遣い。うまいですよね。そういう機能をもった言い回しは他にはないので、古いからといって使わないと言葉の世界が瘦せ細ってしまいますもんね。しかもたったの6文字ですよ、このコスパの高さには驚きます。他にもたとえば、

 

私は平匡さんが一番好きですけど。しみじみと。しっくり。

 

しみじみと・・・心に深くしみいるさま 

 

大辞林にはひらがなで書いてありますが、「沁みる」と書けば、「心に水」です、ドライなハートへのオアシスです。

 

こういうちょっと懐かしい響きの語彙が演じる側にも新鮮なようですね。ちょっと違う気持ちの入り方のような気がします。ガッキーも。他では見せない表情が出ている気がします。

 

で、その後のアルムの丘の上から大声で叫ぶ会で、平匡が、

 

「浸透力、ハンパなーい!」

 

と突拍子もなく叫ぶわけですが、実はこれ、突拍子なくはなく、その前のみくりの「しみじみと」と「心に水」でつながっていたんですね。ふたりとも心が乾いていたんです。そこに水分補給してくれる存在が現れてくれた喜びに浸っているのです。だから同じことを言ってるんだけど、お互いはそのことに気づいていないという(笑)。

 

なぜならみくりは「なぜなの?教えておじいさん」と叫んでいますから。ここではせっかくガッキー、両目をつぶっているのに、ぎゅっと握っているはずの両手が見えません。残念。見たかったな。彼女のくせです。過労で倒れてバニラアイスをクスクスのようにつつくのをドアの隙間から観察して萌えるときに両目をつぶるときも手のひらをぎゅっと握ります。それを見てこっちも萌えるわけで、萌えの無限連鎖です。ちなみに「クスクス」は、モロッコ料理ではなく動物のほうです。木に登る哺乳類ですがしっぽがカメレオンみたいに巻いていて、爬虫類好きは思わず萌えてしまう感じです。ちなみにガッキーは・・・は余計な話です。

 

⑥下は冷えます

 

さっきこの話は済ませました。

 

⑤逃げるのは恥だけど役に立つ

 

 「後ろ向きな選択だっていいじゃないか」

「そうですね、逃げても生き抜きましょう」

 

というわけで、赤レンガ倉庫をバックにほとんど時代劇になってくるのですが、

 

平匡さんに何かあったら、私は平匡さんの味方です。

 

とハグしながらいうガッキーの顔を見ていたら、長澤まさみ堺雅人のハグが思い出され、なぜ口を吸うのだろう、吸ってどうなるというのだろうと思ったり、ガッキーのハグを受け止めているのが堺雅人で、リーガルハイの古御門で、口吸いしながら、ガッキーが「遅い」って言ってるのが見えてきたりするのですが、それは僕の妄想以外の何ものでもないです。でもこの脚本家もいつか大河ドラマを書いちゃったりするのでしょうか。ガッキーの信頼が厚いようですから、彼女がいつか大河の主演になれば。それってあまり見たくはないですが。

 

④やってみましょうか、恋人

③僕らの罪悪感は僕らで背負う

 

この辺は共通の秘密を持てばそこに恋が芽生えるということでしょうね。僕たち、あたしたち。でも星野源のうたでは「僕」と「君」はいっぱい出てくるけど、「僕たち」はそんなに出てこない気がします。たぶん。歌手・星野源の歌詞もいずれ変わっていくのかもしれません。「僕たち二人」へと。このドラマの主題歌の「恋」では、まだただの「二人」。まだ「僕たち二人」へは辿り着いていないのです。「恋ダンス」で、一本指が二本指に変わるようにはね。がんばれ、負けるな星野源。いつか「愛」が歌えるその日まで。

 

②君の作る料理が好きだ

①今日はちゃんと先に寝てください

 

そして二位、一位はさておき、主要キャスト全員がムズキュンに挙げたというのが、このシーン。こうやって文字にしてみると分かりますよね。ミュージカルですよね、ほとんど「ㇾ・ミゼラブル」のようです。というかいっそのこと歌ってほしい。

 

みくり「私は平匡さんに 何を求めてるんだろう」

平匡 「僕は知ってる おだやかな微笑みも ぬくもりも やさしさも」

   「もしもいま 手を重ねたら みくりさんはどんな顔をするだろう」

みくり「今までどおりで いい もうやめる 

    もう疲れた 何もしない 何も求めない

    この旅が終われば 平穏な日常に戻る

    あと一駅」

平匡 「あと一駅」

みくり「あと一駅」

平匡&みくり「永遠に着かなければいいのに」

 

ちょっとこれを思い出してしまいますけどね。複線が単線に集約する感じが。

 

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でも「逃げ恥」のこのシーンはもう少し複雑なんですよね。ガッキーがこう言っています。

 

二人とも全然違う気分じゃないですか。でも最終的には同じことを思ってるっていうのがすごく不思議でおもしろいなと思ったし、

 

気分は違うけれど、同じ気持ちに辿り着き、でもその瞬間に駅に着いてしまうわけです。見てる人誰しもが、あーあ、と思う。そういう経験、結構みなさん、あると思うんですよね。個人的な経験として。

 

で、はい、この旅、ダメでしたとみくりが立とうとした瞬間にキスです。ここでまた線路が分かれる。いやまあ結果としては悪くはないんだけどそれは何という。でそこから同じ「気持ち」だけではなくて同じ「気分」を分かち合うまでのプロセスが始まるのです。でも同じことを思っていれば、いずれ気分も同じになっていくというようなことかもしれません。ふつうは同じ気分を分かち合ったところから同じ気持ちになるというのが恋愛ものの定番ですが、その逆パターンを走っているというのが新しいかもしれません。そのめんどくさい感じがムズムズを生んでいるとも言えるのかもしれません。とはいえガッキーが超絶かわいいからこそムズムズするんですけどね。他の女優なら「勝手にやってろ」と思う。結局はそこですけどね。

 

まあこのドラマ自体、走るときに踵からではなく足の裏全体でペタッと着地してしまうから腰が前に乗らず必死にがんばってるわりに全然前に進まない星野源の走り方のようなもどかしさを体現していますが、それでも後戻りすることはなく、常にとにかく前へ前へと進んでは来ました。でも最終回ではもしかして一周回って元いた場所に戻るのでしょうか。でもガッキーが納得してもらえる結末と言っているので信じることにしましょう。なんつったって、

 

スタッフさんたちの気合が尋常じゃなくて、少しも逃さないぞ!みたいな。そういう意味でもすごく印象的なシーンで、した。

 

っていう、「、」の打ち方する人ですから、最後の「。」の打ち方も尋常ではないは、ず。

 

ところで、「真田丸」最終回、先ほど終わりましたが、長澤まさみ・きりが、竹内結子・茶々に、堺雅人・源次郎との関係を問われ、「腐れ縁ですかね」と答え、茶々が高らかに笑うというシーンが意味深でした。くされあう【腐れ合う】とは「男女が不倫な関係を結ぶこと」だそうです。この時代、「腐れ縁」という言葉があったかどうかは知りませんが、三谷幸喜らしいかなと。