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Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

重版出来!な黒木華がゆとりな安藤サクラをぶっ飛ばした渾身の名言、「この馬鹿チン!」「馬鹿チンはわたしでした!」に心震えたぞ

まずこっちの話からしましょう(安藤サクラの話は最終回を見てからにしますけど)下唇を噛まずには発音できない『ラヴソング』。福山雅治は最後まで唇を噛むことはなく、月9には必需品なはずの「切なさ」が最後まで出ませんでしたね。というか、いくらアジアを代表するイケメンでも50がらみのおっさんだし、いくら最終回だからってオッサン目線にされてしまうと感情移入もできるはずもないし。

 

役者は演技派ぞろいでしたよね。脇を見ても菅田将暉夏帆田中哲司山口紗弥加、木下ほうかとこれだけ揃えておけば何でもできるという布陣でいながらなぜ最後どうにもできなかったのか。

 

フジテレビ、結末が圧倒的に弱いですね。最後どうやってまとめるのか、ラストシーンはどうするのか、そこに向けて視聴者の感情をどう引っ張っていくのか、それを決めずに作り始めているとしか思えませんね。それでもドラマの企画が通ってしまうような状況になっているとしか思えませんよね。

 

感情移入でいえば、いったい誰を誰にどう感情移入させたいのかがまるで不明。唯一できるとすれば菅田将暉だけ。福山はあまりにひどいオヤジで、菅田将暉がブチ切れてたのだけ今にして思えば正しかったんだから。単純化すればよくわかる。

 

吃音に悩むさくら→でも歌は普通に歌える→才能を発見する→恋人が死んでお蔵入りになった曲を黙って歌わせる→騙されて傷つく→声を失いそうになる→福山が不安を紛らせる→好きなままは苦しい→姿を消す→人気歌手にさくらへの思いを込めた歌を歌わせる→問題の曲を彼女がカバーしていいか聞きに行く→問題の歌をまだ歌っている→側に菅田将暉が寄り添っている→あきらめる

 

これは一体何の話だ?こんなひどいオッサンの何を語る話だ?

 

なぜ、天才的な藤原さくらの演技力を生かしてやらない?その稀有な身体能力と感性を。なぜもっと信じてやらない?まともな脚本を与えるだけでマジックが生まれたはずなのに。

 

それにそもそも歌を歌うことが藤原さくらにとってどれだけ大事だったのか、という根本的な部分がまるで描かれていない。「わたしにとって言葉は普通の人より大事だから」って言ったきりそのまま。本当ですよ、言葉をもっと大事にしましょうよ。そして物を語るということを。

 

それに比べて『重版出来!』、永山絢斗が化けたね。すごかったね。そして、熱かったね。

 

漫画家デビューが決まって「生きててよかった・・・生まれてきてよかった」って言うんだけど、こんなセリフ言えるか!ってちゃぶ台ひっくり返すところですよ、でもちゃんと言うんだよね。そしてもっと驚くべきは、ここから元々細いのに彼は、げっそりと痩せていくんですボクサーみたいに。それを際立たせて見せるのは黒木華のぽっちゃり下膨れの雪見大福みたいな弁財天顔、儲かりまっか?の黄色アイテムをスマホだのシャツだのって必ず身に纏いつつだって重版出来!だからね。鼻の穴と上唇の痙攣がエロいのかエロくないのかもはやどうでもいいけど主役に見せかけた脇役というか引き立て役だし。泣いてうつむく目とマナと口のラインで✅✅が相似形、見事に漫画な顔立ち。

 

しかし、炸裂!

 

「この、馬鹿チン!」

 

『ゆとりですがなにか』の安藤サクラの童貞連発を遥かに超える渾身の、

 

「この、馬鹿チン!」

 

インパクト強すぎ。「僕を支配しようとするな!」という暗黒なセリフが幼稚園のお遊戯みたいに聞こえちゃってます。せめてぐわぁあああああ!とか叫ばないと対抗できないのにおとなしく机に座ってペンを取っちゃった。ここは失敗。

 

そして失意の帰り道。黒木華、落とした原稿を拾おうとして屈み、さらに腰をガクッと落としたその瞬間にパラッとこぼれる涙は、本物の奇跡のカット。真下にポト、ではなく、斜め下に、振り払われるように、しかも光を受けてきらっと輝きながら。まるで流星みたいでした。そしてぽっちゃりほっぺもここではげっそり見えるのはなぜ?身体を変えて見せるこの凄さ。細胞まで操ってるし。

 

そして、オダギリジョーが語る。

 

「僕を見つけてくれた女神さま」

ヒヨコの刷り込みみたいなもんだ。

 

聞いてるか、ラヴソング。

 

 中田君もいつまでもヒヨコじゃいられない。いい機会だよ、対等の仕事のパートナーになるために。

 

聞いてるか、ラヴソング。

 

正面からのぶつかり合いを描いたのか、見えていたのか、お前たちに?

 

それ、黒澤さんに教えてあげたら?

 やだよ、あいつもヒヨコだもん。

 

ああ、大人。これがオッサンのあるべき姿です。

そうやって坂口健太郎も大人への階段を上っていく。

 

そして小日向文世もまた。

 

中田君、君が思ってるよりもずっと世界は広いよ。

 

こんな温かいエールがありますか。前途ある若者の未来を祝すために。

聞いているのか、ラヴソング。

 

「先日はごめんなさい、馬鹿チンは私でした!」

 

って言えるのか?

 

黒木華永山絢斗、頭を深く下げ合い、永山絢斗の深さを確認して、黒木華はさらに頭を下げ、もはやお辞儀のレベルを越えて、頭が地面に向かって垂直に垂れ下がっている。

 

全員の幸せなんてムリです。だけど、黒澤さんの目標なら、叶えてあげたい。

 

あー、ここで、人間だね、って思うんです、やっと人間だねって。

 

この表紙、かっこいいです。

 

と言った時の、あ、なんか恥ずかしいこと言っちゃったっていう一瞬の表情も最高です。そして表紙のサンプルの匂いを嗅ぐときに、眩しそうに瞬きを重ねるのも素敵です。目で匂いを嗅いでるみたいに。まるで生まれたての子羊のようです。

 

そして書店でも黒木華が匂いを嗅ぐ、ここでオーケストラがクライマックスになる。普通ならないですけど。これは裏方の感動が書店にそのまま届いているんだよということです。つながっているんです。読む人に。思いっきり吸い込む音を聞かせます。そして吐き出します。入社試験の面接のときの呼吸を思い出します。でもずっとずっと深まっています。

 

書店へやってきた永山絢斗では右手の動きに注目です。左の脇腹を押さえます。感動して肋骨を押さえる人、初めて見ました。

 

そしてサイン会で大歓声が起きた時、彼は指を揃えて掌を上に向け、指の先を太ももに軽く当てている、その細やかさ。それも、初めて見ました。

 

練習します。絵、描きます。下手でも、来てくれた人に、描きます。

 

『いつ恋』の高良健吾を思い出します。このぶっきら棒読み。誠実に世界に向き合うこと。

 

そして、功労賞的な受賞記念パーティーで、長年の連載を終わらせ、新作に挑むことを宣言する小日向文世。その体の小ささと反比例する気迫。カラダを小さく見せるために「骨が抜ける」のは樹木希林だけかと思いましたが、そうではなかったようですね。

 

それは役者としての、小日向文世の、そのまま若手俳優たちへのエールでもあったわけで。黒木華も、永山絢斗も、役柄を忘れてリアルに胸に響いている表情をしていて、脇ではそれでも顔を作っているオダギリジョーや相変わらず我関せずな荒川良々とか。

 

最後に握手をしようと差し出す永山絢斗の手が丸まっていないのに、握手なのに。目的を持った「かたち」という表情を消すからこそ生まれる、手という「もの」の本来持つ圧倒的な存在感。それでも思いが伝わるのは、手を伸ばしていることに変わりはないんだし、精一杯の思いがそこにあるから。

 

聞いてるのか、ラヴソング。むき出しの感動に仕掛けなんか必要ないんだよ。