Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

幽体離脱中に自分を好きになった男の気持ちまで面倒を見る責任が土屋太鳳にあるのかどうかは来週お迎えが来る『お迎えデス。」でわかるはず

番組自体も来週お迎えが来てしまう『お迎えデス。』。福士蒼汰のことを思い続けて四十九日が近いのにまだあの世に行かない門脇麦にせめて手をつながせてあげたいということで、というか、ちょっと下心も、本人も気づかない程度にありつつ、幽体離脱ができるようになった自分に憑依させてデートをしようとするのだが。という話でした。

 

ということは、土屋太鳳ちゃん、負けず嫌いな幸と、引っ込み思案な千里を演じ分けたわけですが、どうやったか、見てみましょう。

 

ロケット同好会の部室にやってきて縁日デートに誘うシーン。しっかり手を握りしめています。これがポイント。体育会系の彼女は全身の筋肉と心が全てつながっているので、拳を握りしめれば他の筋肉も緊張状態に入ります。このとき目尻は吊上がり、瞳孔が絞られ、ネコ科の特徴を示します。髪型的に見えませんが、このとき、耳は立っているはずです。リアクションが薄い福士蒼汰の腹に一発、ボディーブローを入れるわけです。

 

次。千里が憑依して円(福士蒼汰)の家にやってきて料理をふるまうシーン。まず違うのは声ですね。幸の時には少しハスキーですが張りのある、よく通る声。それが、少しキーが高くなって、ささやき声のような、おしとやかな声になります。普段、素でバラエティーに出るときの声に近いですね。この声だと発声が楽なので、首やのどに力が入らず、その結果、表情筋もリラックスして、口角も、目尻も下がります。この時は、イヌ科の特徴を示します。

 

それを外から覗いている幸とは簡単に区別がつくのは大したものです。福士蒼汰では同じ顔に見えるので、困ったことになるでしょう。

 

最近は簡単に合成できるカメラがあるそうですね。5年前、ハリー・ポッターのときは、ハリー・ポッターが7人になる8秒のシーンに数日間かかったそうです。そんなにかかってたらこのドラマ、毎週の放送に間に合いませんからね。

 

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”We are identical!"って言うんですね。「そっくり」ってsameって言っちゃいそうですけど、それじゃあ「同じ」ですもんね。「同じ」じゃないですもんね。

 

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何でしょう、これは?

 

ところで、縁日に出掛けるわけですが、常に両手を前に合わせていますね。こうすると骨盤が下がって、肩は前に出て、首も傾くので、目線が伏し目かつ上目遣いがちになります。orangeな感じでしょうか。

 

自分が自分ではないときに自分への気持ちに気づき始める福士蒼汰の様子を傍から見ていて、幸は不思議な気持ちになるわけですね。このあと、自分の中に自分が戻った時に、彼の気持ちが一歩先に進んでいたら、それに自分はこたえるべきなんだろうか。でもそれは嘘の気持ちともいえないし。ということですね。

 

そもそも俳優さんはどういう気持ちなんでしょうね。例えば、恋愛ドラマで恋人役をしたとします。相手役のことが好きだとして、でも言えなくて、そのうちに相手が自分の役柄のことを好きになる。でも相手は自分の役柄のことを見ていて、自分のことは見てない。その中にいるのは自分なのに。

 

これを今回のドラマに置き換えると、門脇麦福士蒼汰が好きで、でも言えなくて、そのうちに福士蒼汰はただ役柄の土屋太鳳のことを好きになっているだけで、門脇麦のことを見ているわけではない。でも土屋太鳳の中にいるのは門脇麦なのに。

 

でも実は土屋太鳳はただの役柄ではなく、実在していて、福士蒼汰土屋太鳳のことが好きになり始めているけれども、でも先に土屋太鳳という役柄を好きになり始めている。その様子を、実在する土屋太鳳が観察していて、架空の土屋太鳳に嫉妬しているのですが、それは実は門脇麦であって、嫉妬している相手が自分なのか門脇麦なのかわからず、しかし門脇麦は大切な友達でしかも死んでいるのだから嫉妬心はあまりないはずで、とすれば嫉妬しているのは自分に対してであって、つまり「本当の自分ではない自分」「自分よりおしとやかな自分」に対する嫉妬心であって、あるいは死んでいる人間に対して嫉妬心を持つはずがないという戸惑いかもしれず、まあどっちにしてもこれはまともな恋愛にはならなさそうな。

 

あるいは、幽体離脱した土屋太鳳門脇麦が憑依している間に、門脇麦にわからないように土屋太鳳の幽体が福士蒼汰に憑依して門脇麦と握手してあげることも可能でしたが、どっちにしても福士蒼汰土屋太鳳と握手していることになるわけなので、結局同じことです。

 

というような既に十分ややこしい状況で、そのうえに土屋太鳳は他にも映画の撮影などを同時に抱えているので、いろんな幽体があちこち離脱しながら、一つのカラダから出たり入ったりしているわけです。ただいろんな自分が完全に離れて飛んでいくことはなく、『お迎えデス。』のように、へその緒でつながっているのかもしれませんが。

 

そしてだからそのドラマが終わってしまっても、その世界に、その幽体が生き続けているような気持ちになるのかもしれません。

 

もうひとつの、あり得たかもしれない自分に自分のカラダを貸すという感覚は、俳優さんたちにとってはたぶん日頃感じていることで、その「自分」の違いによって、どれだけ違うカラダの使い方ができるかということが重要で、でないと飽きられてしまいますからね。

 

めちゃめちゃ忙しい太鳳ちゃんは、でもたぶんカラダが2つあればとは思わないはず。そんなことよりも、ひとりの自分の中で、できることをどうすればいっぱい増やせるのか、増やした自分をどこに貯めておけるのか、そういうことを考えているのでしょう。

 

いつも同じに見えて、でも違う空の表情を見て、感動し続ける彼女は、そのときの気持ちも一緒にどこかの引き出しにしまっているでしょうから、きっと大丈夫ですね。

 

ところで、福士蒼汰があんなにロケット飛ばすのに必死なのは、『下町ロケット阿部寛の思いが乗り移っているからだった!っていうことはないですかね?