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Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

まさかの『いつ恋』、衝撃を通り越して呆れてしまった最終回前の荒っぽい展開

困りましたね。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』。

 

好きなドラマなんです。『問題のあるレストラン』もそうでしたが、素敵な瞬間を描くし、登場人物がちゃんと生きてる。今回もそうです。さすが坂元裕二です。ここまでは多少無理はありつつも大事なところは丁寧に描いてきた、だからこそ。

 

西島隆弘有村架純に昔の自分が好きだったなと改心したことを散歩しながらさりげなく話そうとするシーン。

 

僕の仕事は一生懸命働いてきた人の首を切る仕事です、父親の事業の利益のために。でも君の前では絶対そんな顔は見せない。君だけを幸せにする・・・

 

ってそれはまずいでしょう。それは「君の前で僕は嘘の笑顔の仮面を被るよ」ってことじゃないんですか?

 

しかも、そこでずっと主題歌のオーケストラバージョンが流れている。そんなに美しい話なのかな。

 

彼女の信念はどれだけ傷ついても踏みにじられても自分らしく真っ直ぐに生きるということじゃなかったのかな。

 

そしてそのあと、道で泣いている子供を慰める高良健吾の姿を偶然見かけた有村架純は涙する。でもそれは何の涙なの?素直にいいと思うものを選べなくなってしまっている自分に?あるいはたとえ自分がいなくてもこの人は変わらずいい人なんだということに?もはやよくわからない世界に入り込んでいる。出口を自分で塞いでいるかのよう。これでは確かに行き場を失ってしまうよ。

 

もう一つは、関西弁の扱い。たかが方言の問題だけど、関西弁は有村架純の純粋な生き方の象徴だったはず。しかも高良健吾にだけ心を開くんだよってことだったはずだよね。でも高畑充希にもそうだし、会ったばかりの芳根京子(偶然出会うにしては2Sがかわいすぎるのも問題だけど)にも「あめ、食べ」と。それは高良健吾と心を通わせるための大切な合言葉じゃなかったの?だったら第1話は何だったの?とっておきのアイテムを安く使い過ぎ。これはもう泣けなくなってしまう。それにあまりに素を出し過ぎ。高畑充希との二人のシーン。本当に仲がいいんだろうけど、長崎出身の設定の高畑充希が「変な関西弁」ではなく、普通の関西弁で話してしまう。スタッフに関西人はいないの?その関西弁、変じゃないじゃんって誰か言わないのかな。そういうリアリティー大事にしないとこのドラマの描く世界って成り立たなくないか?

 

さらに苦言。高畑充希に何で高良健吾じゃダメなの?って絡ませているが、これは視聴者がツイッターとかで寄せてきている声の代弁役に過ぎなくて、そんな仕掛けいるのかな。あたしそもそもめんどくさい女だからって説明までしながらってメタフィクション過ぎないか。さらに西島隆弘に言わせている「二番目、三番目と結ばれる方が幸せになることも多いし」ってのもそのまま視聴者の声じゃないか。両方の声に配慮して、両方に感情移入させて、まるでニコ動を登場人物にやらせているような感じ。それもまた月9ってか。みんなで作ればいいというものか。

 

だからこそ最終回の一つ前で崩壊させるのが脚本の坂元裕二さんの最近のお気に入りなのかな。全部抱え込まなきゃいけないのが重くて、それで視聴者の思い入れや予想や、それまで作った虚構を全部一旦壊して、そこから視聴者も自分も知らない何か本当のことが見えてこないだろうかと探っているのかな?誰もが想像だにしなかったもの、自分の予想さえ超えるものを探しているのかな?だからあて書きして、そのうえでムチャ振りして、役者がどんな素顔を見せるのか、その反応を確かめようとしているのかな?そんなことより、大事なのはそもそも何が描きたかったのかじゃないのかな。それを忘れてるからいつも最終回がどこにも辿りつかないのに。

 

高良健吾有村架純の姿を見て、周りの人たちが自分らしく生きたり、自分の歩むべき道を見つけたりしているようで、たぶん、最終回はそういうことが描かれるんだろう。でもどうしてこうも教訓的なのかな。アルプスの少女ハイジなのか。

 

悪行を償おうとして階段から落ちケガをする高良健吾車いすのおじいさんを助ける高良健吾。迷子の子供を助ける高良健吾。窃盗犯を助けることで階段から落ち、どうなるかわからない有村架純

 

これはもう道徳を語っているのか、道徳を語られることに反発心を覚える視聴者にそれは本当のあなたですかと問いかけているのだとしたら、地方から出てきて東京でつらい思いをしたり、でも有村架純が公式ページのインタビューでいうように、標準語でしゃべるようになって仮面かぶってるみたいです、いまだに東京で落ち着く場所なんてないです、っていうそんな気持ちを描くこうとしたはずの最初の思いはどこにいってしまったのですかと逆に問い掛けたい。あなたは一体何を壊そうとしているのか、その目的は何なのか。月9の常識なんて壊したって意味ないですよ。あなたが作ったものはもうとっくに壊れているんだし。でもそうじゃない可能性も確かに見えていたはずなのに。

 

それより安易に有村架純を死なそうとするんじゃないということが言いたいだけなんだけど。だってかわいそうじゃん。思わせぶりな予告編からすると結局死なないかもしれないけど、人の生き死に関係なく、人を深く感動させることだって本当はできるはずなんじゃないのかな。どうせ最終回のひとつ前まで見た人はほとんど最終回見るんだし、最終回だけ視聴率良くたって何の意味があるというのか。だって最終回だけ見る人って中身分かってないんだし。それもまた数字を求められる月9の宿命だとしたら、そういう常識こそぶっ壊せないものなの?月9なのにどうしてこんなに深いのだろう、とか。

 

最終回、有村架純が書いた手紙の中身は、お母さんの手紙への返事なのかな。高良健吾は第1話でお母さんの手紙を北海道の有村架純まで届けたけど、今度、高良健吾はその手紙をどこの誰に届けるのだろうか。そんなことでも勝手に想像しているしかないかな。