Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

ももクロ新盤永遠回帰ジャケットの意味を知りたいなら77年前の太宰治を読め

あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっとふすまをあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。(青空文庫から)

 

と77年前に『女生徒』で書いたのは太宰治。でこちゃん。と

 

 

Hypothetical brainchildren 。まるでルネ・マグリット

 

わかる?めくってもめくってもわたしじゃないの。

 

 

わたしわたしわたし。

 

世界にはいろんなことばがあるけど、Iのないことばはあるのかな?

自分のことなんて別に言わなくたってわかってるんだから。

 

かわりに58人称とあってもいいじゃない?

58人いるときの主語と、59人いるときの主語は違うべきじゃない?

 

何なの?「わたしたち」って?どうやってまとめてんの?誰を代表してんのよ?何のために?一緒にしてほしくないんだけど。私以外の誰とも。

 

カフカの『虫』ってぜったいIで書いてると思った。だって虫になっちゃう話なんでしょ?Iで書かなきゃつまんないじゃん。そしたらちがったの。意味わかんない。誰が見てんのよ、その虫を。

 

お兄ちゃんはある日、虫になったけど、あまり変わんない生活。

 

って妹目線で書いた方がよっぽどまし。

 

だってカラダなんて入れ物なんだし、なんだって別にいいんじゃないの、変身は、へんしん、じゃなくて、かわりみ、らしいよ。じゃあ仮面ライダーはなんて言って仮面ライダーになればいいの?

 

変わりみ!

 

やくしまるえつこだよ。彼女はきっと蚕のような虫。

 

やくしまるにとって、着る服には自分の領域を確保する道具としての意味があります。ミニマムな部屋のようなもの。このハトラというブランドは、まさに”部屋を着る”をテーマに作られていて、実際に着ているとそういう感覚になります。中に空間があって宇宙服に近いんです。快適だし、作業にも集中できます」

「曲や作品を作る時、頭の中には新しい空間が拡張されていく。そのスペースは、ある意味、元の自分とも離れているし、さらに受け手の脳みそや細胞がその人数分あるなら、その数だけ再生環境が異なるとも言える。着る服によって違う顔を見せる女の子と同じでパラレルワールドや次元移動のように、ものが同じでもどこにあるかで意味が変わることは、ちょっとした魔法みたいだなって。スペース自体が本体なのかも。フードに隠れながら自分が仕掛けたイタズラが、スペースを移動することで変異を起こしていく。ポップミュージックは拡散力がある分、そんな仕掛けを隠しがいがあるし、隠さないと成り立たない。計算通りに物事が進むより、ちょっとずつ歪、ノイズやバグが発生して、それがどこかのスペースに影響しているということがロマンティックだと思います。

 

って装苑で言ってた。

 

 

でもってコムアイ。

 

 

駅なのこれ?あるいは4人家族で?そういう家族のカタチ?

それより電車の間隔調整ってどうにかなんないの?

 

後ろの電車が込み合いちゃうから?意味わかんないコムアイ。

だって電車の中にいる一人一人なんてどうでもよくない?

その人たちの人生も。

だって「わたしたち」じゃないもの。

おんなじ電車に乗ってるからって「わたしたち」じゃないでしょうよ。

そういう言説許すから痴漢する輩とか出てきちゃうわけだし。

あんたのためのお尻じゃないし。

 

電車もバスも駅も学校も会社もビルも。

東京も日本も。

ただの箱。

 

あの子たちはークラスのみんなはね、なにもわかってないのよ。自分たちのしてることの意味がわかってないのよ。自分のしたことが人をどんな気持ちにさせるものなのか、人の痛みなんて考えたこともないの。ただまわりにあわせて騒いでいるだけなの。わたしだって最初はすごく悔しかったわよ。すごく。だってわたしがこんなふうに汚くしてるのは、お父さんを忘れないようにってだけのことなんだもの。お父さんと一緒に暮らしたってことのしるしのようなものなんだもの。お父さんがどこかではいてるどろどろの靴を、わたしもここではいてるっていうしるしなのよ。汚さにもちゃんとした、ちゃんとした意味があるのよ。でもね、あの子たちにそんなこと言っても、ぜったいにわからないのよ。そう思わない?

 

って『ヘヴン』で書いたのは川上未映子。すごく綺麗な人だけど、だから?

 

カフカは、新聞記事は読まないけれど、ファッション記事は読むというしね。春のモード特集とか、のんびり楽しく読んだっていうしね。1922年3月末のプラハで書いた手紙でそう書いてるんだよ。

 

ついでに同じ手紙の中で、自分の人生の不幸は全部手紙のせい、あるいは手紙を書く可能性のためだとも言ってる。教科書より分厚い1300円もする集英社文庫買ったんだ。

 

手紙が簡単に書けてしまう可能性はー純粋に理論的に見てー恐るべき心の荒廃をこの世にもたらしました。手紙というものは、幽霊と交信するようなものです。宛先の人の幽霊だけではなく、自分自身の幽霊とも交信するはめになるのです。手紙を書いているとその手の下で幽霊が生まれ、育ちます。一通だけならまだしも文通が続くと、一つの手紙が別の手紙の根拠になり、別の手紙を証人として次々と呼び出すようになります。人間同士が手紙で交信できるなどと、なぜ思ってしまったのでしょう。遠くにいる人を想うことはできる。近くにいる人を抱くことはできる。それ以外はすべて、人間の力が及ばないことです。

 

そして、1922年3月末のプラハで、カフカはこう言っているの。

 

これから先も幽霊たちが飢えることはなく、私たちは滅びに向かうでしょう。

 

だったら滅びちゃえそしてまた生まれ変わればいい。

 

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