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Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

デカルトを語る阿部寛に負けるな太鳳ちゃんよくぞ言った!『私には私の考えがあるの。パパの考えを押し付けないで』

『ガウディ編』、始まりましたね。ポイントは、なぜ医療機器の部品製造の実績のない佃製作所が、という点です。これを解く鍵はデカルトの『方法序説』にあるのではないかと見ています。

 

デカルトといえば、「我思う、ゆえに我あり」という言葉が有名な17世紀前半の哲学者であり、数学者でもあった人です。『方法序説』は40歳ぐらいのときに、その頃までの経験を踏まえて書いています。

 

方法序説とは何かですが、ネットでも全文が読めます。

http://www.bauddha.net/discourse_method/

*文中の長文は、ここからの引用です。

 

下町ロケット』に関わると思う部分をwikipediaから引用します。

 

  1. 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。(明証)
  2. 考える問題を出来るだけ小さい部分にわけること。(分析)
  3. 最も単純なものから始めて複雑なものに達すること。(総合)
  4. 何も見落とさなかったか、全てを見直すこと。(枚挙 / 吟味)

 

これは阿部寛がいつも心がけている行動規範ではないでしょうか。

 

先週ロケットエンジンの燃焼実験が失敗した際、佃製作所の作ったバルブシステムに不具合があるのではとの疑いが出ましたが、阿部寛は、

 

1.帝国重工のバルブシステムに問題ありとの疑いをそのまま受け入れず、

2.全ての部品を一つ一つ細かく分解して調べ、

3.システムの連関の中でなぜ点火しなかったのかを検証し、

4.全てに問題なしとの結果を受けても再度、見落としがなかったか考えた。

 

その4番目の作業の中でもう一度、2番に戻り、バルブシステムを切断、そこに残っていたわずかな不純物の痕跡から、些細なたった一つの原因によって全体の複雑なシステムが作動しないという3つめの段階に問題があったことに気づいたわけです。

 

阿部寛がいつも考えているのは、どこかに偏見や思い込みがないか、何か大事なことを見逃しているんじゃないか、そういうことです。

 

それにいつも気づかせてくれるのが、実は娘の土屋太鳳という役回りになっています。

 

阿部寛が「娘のことを思わない父親がどこにいる!」とその思いを吐露した後に、「私のことをちゃんと見ていてね」と太鳳ちゃんが泣かせる言葉を発していましたが、バルブシステムの不具合問題で袋小路に陥った時に思い出したのがまさに太鳳ちゃんのその言葉だったわけです。

 

デカルトも言っています。

幾何学者たちが、とてもむずかしい証明の結論にたどりつくときに使う、単純で簡単な理由づけの連鎖というやりかたを見て、わたしは人間の知りうるものはすべて、同じように相互に関係しあっていてるのだと考えるようになった。そして、まちがったことを真実として受け入れてしまったりしないようにして、ある真実から次の真実を引き出すのに必要な順序というものをきちんと理解しておけば、手の届かないほどの彼方にあったり、あるいは発見できないほど深く隠されたことがらというのは何もない、とも考えるようになった。

 

勉強は勉強、仕事は仕事、家庭は家庭と区別などしなくても、すべてつながっている。だから全部大切にすればいいんだというメッセージになっています。だからこのドラマはより心に響くのでしょう。

 

慶応大学理工学部に見事合格したらしい太鳳ちゃんですが、パパみたいに夢をあきらめないで頑張ろうとしたけれど、レギュラーを外されて、やればやるほど苦しくてバトミントンをあきらめざるをえなかった彼女を慰めるとき、阿部寛はこういいます。『勝ち負けはもういいんじゃないかな』というのもそういうことでしょう。夢に対する向き合い方を教えるのです。彼女はまだ若いから。

 

常に運命をねじふせようとするより自分自身を抑えるようにして、世界の秩序を変えるより自分の欲望を変えるようにしよう、そして一般論として、われわれの持つ力の中には、自分の思考力以外には絶対的なものはなにもないのだ、という説得に自分を慣らそうということだった。つまりはなにか自分の外のことに対して人事をつくしても、それが失敗するかは絶対にわからないのだ。

 

何かをある時点で認めても、それが将来正しくなくなったり、あるいはわたしがそれを正しいと思わなくなる場合があるだろう。そんな場合でも、それをずっと正しいものと認め続けなくてはならないような形で自分を縛るのは、大きな罪であると考えざるをえない。

 

しかし、阿部寛本人は、一度決めたことは決して諦めません。それはデカルトがこうも言っているからです。阿部寛が決断を迫られる社長室の場面ではいつも背景がぼけていて何の本が並んでいるのかは分かりませんが、そこにはきっとデカルト方法序説』があるはずです。ないなら是非、来週から置いといていただきたいものです。

 

森の中で道に迷った旅人は、あちこちふらふらしたりすべきではなく、まして一ヶ所にじっとしているべきではなく、同じ方向に向かってできるだけまっすぐに進み続けて、ちょっとやそっとでは方向を変えたりしないことだ。その最初の方向を決めたのがただの偶然だったとしても。なぜならこうすれば、希望の地点にたどりつくことはないにしても、いずれどこか、森のど真ん中よりはましなところに出るはずだからだ。同じように、行動の途中では遅れが許されないことがしょちゅうあるので、何が真実かを見極めるだけの力がない場合には、いちばんありそうな方向にしたがって行動すべきなのはおそらく確実であろう。

 

そして、デカルトは第5章で、心臓と血液の流れについて詳細に述べていきます。それがあらゆる物事を考えるうえで基本となるからだと。それはまさに今週から始まる、時間の経過とともに変化していく人体を相手にしているという意味ではロケット開発よりもさらに難しいともいえる医療器具への挑戦という、ガウディ編へのドラマの流れそのものです。そして、ロケット開発と医療器具開発が連関しあい、おそらくヒントを与えあいながら、阿部寛と佃製作所がモノづくりの本質により近づいていくさまを描いていくに違いありません。

 

しかし、ガウディといえばもちろん、大樹が枝を広げるように成長し続けるサグラダ・ファミリア教会の設計が思い出されますし、人体そのものに挑戦するプロジェクトとしてその名をとったに違いありませんが、ガウディは数学よりも自然の中に真理を、そして建築のあるべき姿を見出そうとした人物ではなかったのでしょうか。会社に寝泊まりする石倉三郎は馬車に轢かれて死んだときに浮浪者と間違われたというガウディの姿を想像させますし、石倉三郎の開発した縦横の糸が交差する織物もおそらくクモの巣や蚕の糸からヒントを得たものと見えなくもありません。それはガウディの精神とつながるものではないでしょうか。

 

ガウディの自然への賛美がもっとも顕著に表れた作品が、コロニア・グエル教会地下聖堂のガウディ設計部分である。傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影の目くるめく色彩が作り出す洞窟のような空間になっている。この柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず、ガウディは10年の歳月をかけて実験をした。その実験装置が「逆さ吊り模型」で紐と重りだけとなっている。網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものが、垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だと、ガウディは考えた。建設中に建物が崩れるのでは?と疑う職人たちに対して、自ら足場を取り除き、構造の安全を証明した。

アントニ・ガウディ - Wikipedia

 

しかし、今回は阿部寛の知り尽くした航空宇宙工学の世界ではなく、医学の世界。しかも、そうそう実験できる世界でもないし、認可も待たなければならないわけです。相当な困難が予想されます。

 

そこで重要となる示唆は、太鳳ちゃんによって与えられているはずです。彼女が今週言った重要そうなセリフはこれです。

 

「私には私の考えがあるの。パパの考えを押し付けないで」            -佃利奈ー

 

今週のクライマックスは、この土屋太鳳ちゃんが阿部寛を指さしながら久々に見せたクールな美少女顔、しかもドヤ顔でしたね。吉川晃司の逆三角形が楽しめない間は、彼女の出番を増やしていただかないと、今田耕司石倉三郎では地味すぎやしませんか?能登まで連れて行っていただきたいとは申しませんが。