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Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

ヨルタモリ最終回での宮沢りえの告白によると村上春樹がやっていることはタモリと同じである(ついでにオザケンも)

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

宮沢りえが鼻で吹いた縦笛をヒャダインがいい匂いがすると喜んじゃったりしたのがいけなかったのか、ヨルタモリ、終わりましたね。

 

最終回らしかったのは、「渡良瀬渓谷鉄道 間藤駅」を紹介した「始点・終点」。なんでもできそうで意外とナレーションはうまくないのに誰も言えなかったのか、どこにもたどり着かない感じで中途半端に情緒が宙に浮いていたのはさておき、その先に足尾本山という駅があったのだが、銅が枯渇したために、その一駅手前の間藤駅が終点となってしまったらしいけど、そんなに哀しいことなのだろうか。

 

タモリ(ナレーション)「・・・それはまさに青天の霹靂だった。当時は自分の運命を呪った車止め標識も、今はそれを受け入れ、平静を取り戻している。始まりは何かの終わりでもあり、終わりはまた何かの始まりでもある。始点・終点は実はないのかもしれない」

 

りえ 「いやあ、深いわね」

 

タモリ 「ありのままってありえないなと思うんだよね。ありのままというのは、ある点があるから、そう言ってるだけの話で、実際よく見てみると、自分の中の始点というものはないよね」

 

りえ 「そうですよね 。だって昨日の自分と、今日この時間を過ごした明日の自分と違いますよね」

 

中居 「経験することによって、この時間を」

 

タモリ 「そこで、ありのままってないよね」

 

りえ 「だから変化していくこともひっくるめてありのままでいるんだったらいいんだけど」

 

中居 「ほんとね」

 

タモリ 「いやママ、すごいことを言う」

 

いやママ、さすがすごいことを言ったかもしれませんけど、ママ自身がそんなに自慢げでもなかったのは、さいたま芸術劇場でりえママが出演中の舞台「海辺のカフカ」の原作に、そういうことが書いてあるわけで。

 

「世界は日々変化しているのだよ、ナカタさん。毎日時間が来ると夜が明ける。でも、そこにあるのは昨日と同じ世界ではない。そこにいるのは昨日のナカタさんではない。わかるかい?」

 

と、村上春樹著、新潮文庫海辺のカフカ(上)」p403です。

 

シルバーウィークの始点と終点に何の違いがあるのかということは、はるかな渋滞のその先にきっと見えるのでしょうけれど、それより感心すべきは、タモリさん、最後まで「ありのまま」にこだわるんだねという。

 

2014年11月16日放送「ヨルタモリ」(ゲスト:松たか子

吉原さん「ありのままって意味が分かんねえもん。ありのままの自分ってわかる?自分って常に変化してるわけでしょ。その変化も自分でもわかんないわけでしょ。ありのままの自分って一秒もねえわけよ」

 

松たか子 「そうそう、たぶん、一秒の、一瞬の、よぎったことを歌っている何分間だと思う」

 

吉原さん「ああそうか、そう言われるとまた解釈違ってくるなあ。なるほど」

 

松たか子 「ミュージカルとかで、リアルタイムの気持ちじゃない、お芝居とかもそうだけど、リアルな一分間じゃない、リアルにしちゃったりするじゃないですか。スローモーションになっちゃったりとか、一言でいいのを3、4分ぐらい使ったりとか」

 

吉原さん「時間というのは、あるようでないわけじゃない?人を待ってる5分と、ただ酒飲んで楽しい5分とじゃ、全然違う。時計なんてのは、あれ、時間じゃないからね。あれ、空間に直して、みんな納得してるだけであって、あれは時間じゃない。時間を自由自在に広げたり縮めたりするってことだね、いまおっしゃったことは。偉いね」

 

松たか子 「そうです。そういうことでした。時間というのはちょっと不思議ですよね」

 

吉原さん「「時間というのは、あってないようなもの」

 

りえ 「そうですねー」

 

吉原さん「動物に時間があるかっていうのも不思議な問題なのよね。人間が時間を伸ばしたり縮めたりしている唯一の動物かもしれないんだよね」

 

松たか子 「なるほどね。宇宙も時間あるんですかね」

 

吉原さん「宇宙にもね、ないと思うんだよ。人間ぐらいなんだよ、時間の観念があって、でしかも、音楽によって伸ばしたり縮めたりするというのは人間ぐらいじゃないかな。というのは、人間が自分というものを刻々、過去のものにしていくわけだな。で過去のものにしていくから時間という観念が生まれるんだけどね。いや、いま言ったことはなかなかおれ、感心したね。だーめだなおれ、まだね。何もわかってるようでわかってねえな。ここはいい店だな」

 

生放送で「巻け!」だの「伸ばせ!」だの言われるのにいい加減うんざりなんでしょうけど、動物まで持ち出してきちゃってますからね。しかしこのやりとりからは、タモリさんがミュージカル嫌いな理由がまた一つ、見えますね。いきなり歌いだすのっておかしいだろ!っていうのはタモリさん、いつも言ってますが、ミュージカルの歌って、瞬間の感情を無理に引き延ばすものと考えると納得がいきますよね。松たか子さん、すごい。タモリさん、じゃなく吉原さんは酔っぱらってて何言ってるかわかりませんが。ありのままかどうかも、もはやどうでもいいけど。To be or not to beに始まり、いつまでその話かっていう。

 

さらにこの後に続いたのが、「世界音楽紀行」でアントニオ・カズヨシ・ジョビンが歌うボサノヴァ

 

寄せては返す新しい波(ボサノヴァ)こそ、タモリさんの時間観、人生観そのものかというのは深読みか?歌詞でも「tiempo」って歌ってる気もするし(tiempoは確かに「時間」ですが、ポルトガル語じゃなくスペイン語みたいですけど)。

 

そもそも、いいともで31年半もずーっと毎日、この歌、歌ってた人ですからね。時間を語らせればそりゃ日本一ですよね。

 

時間通りにcome with me

笑っていいともウキウキwatching

 

昨日までのガラクタを処分処分

今日はダメでもいいtomorrow

きっと明日はいいtomorrow

 

歌詞の意味なんか気にしてませんでしたが、今から思えば、タモリさんの生き方そのままですね。

小泉長一郎さん作詞だそうです、代表曲は、ばんばひろふみのSACHIKO。 これもそう、思い通りに生きてごらんというメッセージソングでしたが、タモリさん、思い通りに生きてますよね。

 

でも生き方が前向きかというと微妙なのもタモリさんならではで、

 

ちょっと古いですけど、2014年3月20日「テレフォンショッキング」、小沢健二、通称オザケンが登場、芸能界半分引退したテレビ16年ぶり生出演の元王子様からご勇退おめでとうございますと言われ、タモリさん、さすがに微妙なリアクションでしたが、

 

左へカーブを曲がると光る海が見えてくる 僕は思う この瞬間は続くと いつまでも

 

という、「さよならなんて云えないよ」という、いいとも終了にふさわしい曲、オザケン、ちらっとメドレーの中で若干切ない音程で披露していましたけど、

 

『道を行くと、向こうに海が見えて、きれいな風景がある』。そこまでは普通の人は書くんだけれども、それが『永遠に続くと思う』というところがね。それ凄いよ。凄いことなんだよ、あれ」

「あれはつまり“生命の最大の肯定”ですね」

「そこまで俺は肯定できないんだよね」

 

という発言も過去にありました。

 

でも、オザケンタモリさんより肯定的かというとそうでもなくて、歌詞の続きもそんなに舞い上がってもいなくて、十分に刹那的ではあるのです。

 

本当は分かっている 二度と戻らない美しい日にいると

そして静かに心は離れてゆくと

 

いつの日か  Oh baby  長い時間の記憶は消えて

優しさを  Oh baby  僕らはただ抱きしめるのか?と

 

世界で最もタフな15歳になるために「長い時間の記憶」と向き合う少年の姿を描いた「海辺のカフカ」、その作者の村上春樹が、最新作、自伝的エッセイ「職業としての小説家」(スイッチ・パブリッシング)に書いているなかで、これは「タモリ論」か?というのがあります。

 

「今ここにある自分」というものを客観的に正確に見つめることは、けっこうむずかしい作業になります。今の現在進行形の自分というのは、なかなか把握しづらいものですよね。あるいはだからこそ僕は、いろんなサイズの自分のものではない靴に自分の足を入れ、それによって、今ここにある自分を総合的に検証していることになるのかもしれません。ちょうど三角法で位置を測定するみたいに。(p238)

 

さらに。

 

あらゆる創作行為には多かれ少なかれ、自らを補正しようという意図が含まれているからです。つまり自己を相対化することによって、つまり自分の魂を今あるものとは違ったフォームにあてはめていくことによって、生きる過程で避けがたく生じる様々な矛盾なり、ズレなり、歪みなりを解消していくーあるいは昇華していくーということです。そしてうまくいけば、その作用を読者と共有するということです。(p244)

 

タモリさんの笑いってたぶん、そういうことですよね。客に一般常識との「ズレ」に気づかせて、それを笑いに昇華していく。ズレが大きいほど直すときにゴキって大きな音が鳴りますし、小さなズレでもズレが治るのはすっきり気持ちがいいものです。だから自分をどこかの「点」に固定しちゃうと仕事にならないわけです。患者のズレは、人それぞれですから、患者に合わせて自分の座標点をいろいろ変えちゃう。

 

いまのところ、NHKに寄ってみるというのが新しい傾向(ボサノヴァ)のようですが、もちろんそれもアントニオ・カズヨシ・ジョビンなわけで、明日のことはまた明日、刹那に考えるのでしょう。こういう人にとっては、いつのまにかいなくなってるというのが実は理想の生き方なんでしょうね。

 

ということで、ヨルタモリ最終回でサングラスの奥には何があるの?ってタモリさんにささやいてた宮沢りえさん、たぶん何もないですから。それより、タモリさんのことを理解したいなら、村上春樹の新刊を読まれることをお勧めします。人生に影響を与えるかどうかは知りませんが。

 

職業としての小説家 (Switch library)

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