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Wakeupalicedear!

最近はほとんどドラマの感想なんだけど、ほんとは短い小説を書くためなんだけど。

日本最強の高等遊民は長谷川博己か寅さんか、あるいは杏か?そして見守る幽霊たち。

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JR大阪駅である。下にいると何でもない空間である。JR京都駅からは格段落ちる。

 

しかし駅ビルの三省堂書店から見ると便意を催すに足る程度には非現実的な風景ではある。

 

さてトイレの前の表示板の前で再び立ち尽くす。

 

Gentlemanかladyか。うーん、どっちにも当てはまらない気がする。

 

Gentlemanとは、とは難しい問題だ。

 

歴史的には、近代イギリスの支配階級のことを指す。大地主であり、働く必要がなく、暇なので趣味に没頭し、教養はある。

 

イギリスの歴史家、ケインとホプキンスが提唱した「ジェントルマン資本主義」という学説によると、産業革命によってイギリスが「世界の工場」と呼ばれるに値する地位にあったのはごく短い期間にすぎず、実際は暇と金を持て余したジェントルマン階級がロンドンのシティを中心に興した金融サービス業が支えていたのだということらしい。

 

そのご子息たちがパブリックスクールやその他の寄宿生の学校からケンブリッジだのオクスフォードだの名門校に通わせられ、いずれジェントルマンと呼ばれることになる、ざっくりこんなところか。

 

つまりは、最近流行りの r>g である。

 

株や債券、不動産に投資することで増える財産は、頑張って働いて上げる労働生産性を常に上回る、というピケティの話である。

 

例外はIT業界だけで、世界はずっと昔からそんなふうにできているんだろう。

 

いやいやIT業界だって経営者の学歴は何気にめちゃめちゃ高いし、というのは結局なんだかんだ言っても親が金持ちだからだし、でも勉強ぐらいやんなくったってできて当たり前だけど、といった涼しい貴族顔の方々が多いわけだし、つまりどっちかいうと明らかに>の左側にいるわけだし。

 

結局働いても働いても蟻はキリギリスに追い付かないということなんじゃないの。ゼノンのパラドックスのようにね。

 

世界のレストランランキングで4度も一位をとっているデンマークのレストラン「NOMA」は蟻のトッピングで有名で、期間限定でマンダリン東京でも店を出していたみたいですが。NOMAが使うデンマークの蟻だけなのか世界的にそうなのかわからないけど酸味が強いらしいそうで、本店二階は研究所で世界中から50人のシェフが集まり、半分は無給だそうで、まさに蟻のように働かされているわけだ。蟻づくし。

 

このまま格差社会が拡大すれば、親の学歴は子供の学歴と同じか、もしくは常に上回るという法則が成り立つかもしれず、親がジェントルマンでないなら、子供もジェントルマンにはなりえないのだし、そういう星のもとに生まれた子供は一生、蟻のように働く運命なのか。

 

うちの親はジェントルマンか、いやありえない。

 

そしてこのトイレに入る資格は僕にはないのだ。

 

高等遊民長谷川博己はみんな資本主義に毒されていると言い放つ。

 

JR京都駅に敬意を表して京都大学名誉教授の竹内洋先生の解説によれば「高等遊民」という言葉は夏目漱石に始まると芥川龍之介が言ってるらしいが「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」という有名な言葉を残している芥川のほうがより今日的な意味で高等遊民的であるし、大地主の息子ということで言えば太宰治のほうがジェントルマン的な意味で高等遊民にふさわしいが、「パンに関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくちや人間の甲斐はない」「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」などという『それから』の発言からすると、長谷川博己の口調からしてもろそうなんだが明らかに『デート~恋とはこんなものかしら~」は一万円札の夏目漱石へのオマージュである。高等遊民は無心してもらう一万円札を見るたびに夏目漱石、そして『それから』の長井代助を思い出すのだろう。それにしても見事な名前である。長いものには巻かれろ、代わりに助ける。

 

『それから』といえば、森田芳光監督、松田優作主演の映画を思い出す。1985年、もう30年前。二人の生涯最高傑作である。抑えた感情の激しさは安易に爆発させたそれを遙かに上回る。日本映画のひとつの到達点だと思ったがそんなに評価は高くないようだ。松田優作、もう少し長生きしていれば。しかし息子がそのことに気づいている。つまりは血である。人間を動かすものは、ただ脳みそだけではないのだから。

 

日本最強の高等遊民は、やっぱり寅さんか。寅さんのDVDボックスの宣伝コピーには、寅さんの台詞からとった「おっ、てめえ、さしずめインテリだな!?」などとあるが、そういう寅さんはどうなんだ?

 

長谷川博己のファッションも寅さんを意識しているし、相手役の杏も寅さん好きで年賀状のコスプレシリーズで寅さんをやったこともある。サイボーグな役柄にサイボーグなコスプレをさせたサイボーグ009ネタはそこにいざなうための仕掛かもしれぬ。元モデルなのも杏と通じるサイボーグ003は生殖能力があるらしく、原作では009との子供を作るらしいが、これは本当か?杏ならできそうだが。ハリウッドもリメイクを狙っているに違いない。生殖するサイボーグ。食虫植物のような東出昌大寄生獣よりも恐ろしい。

 

同じくモデルの冨永愛も「草食系」な寅さんが好きなのだそうだが、同じモデルの世界で天敵がいないために生態系を破壊し尽くし問題となっている日本培養のイタリア固有種高等遊民ジローラモに代表されるチョイ悪肉食系について、一部日本人は明らかに時代を読み違え続けている。大丈夫なのかキリン淡麗プラチナダブルは。ジローラモは淡でも麗でもないぞ。キリンは漢字が読めないのか。だから麒麟ではないとでも言うつもりか。

 

さて落ちこぼれ数学者の杏は性欲はむしろ強いという設定だが肉食系とはいえず資本主義に全く毒されておらず長谷川博己と対極を成さないのでドラマが生まれづらいためとりあえず優秀な数学者だった和久井映見演じる幽霊な母親に嫌味を言われつつ励まされるというステージママ強化路線を歩み始めている。

 

杏自身も同じフジテレビ「幽かな彼女」(2013)でダメダメ教師の香取慎吾の指南役の地縛霊を演じていたが、さらに思い出すのは、同じくダメダメ教師の錦戸亮と、その母親の森下愛子が死んだあとも観音様の姿で息子の贖罪を見守る、TBS日曜劇場史上最低視聴率を記録したクドカンの「ごめんね青春!」の、周りからは見えなくても本人にだけは見えていてベラベラしゃべり倒す様子が時々不振がられるというこの3作品全てに共通する設定で、(現在放映中の「学校のカイダン」もゴーストスピーチライター神木龍之介に指南される女子高生広瀬スズの話であるが、こっちは幽霊と言ってもゴーストライターの方にかかっていて、カイダンも怪談ではなく階段らしくて、つまりは佐村河内の余波で、中谷美紀水川あさみのもろそのまんまのっかったフジテレビ「ゴーストライター」と同じタイミングになってしまってるんだが、いずれにしても陰の存在がキーになっていて、小栗旬は去年の「信長狂騒曲」で本物と影武者の二役だったが、「幽かな彼女」と同じ脚本家でいま放送中の「ウロボロス~この愛こそ、正義。」でも表の存在の刑事役生田斗真の陰で動くヤクザ役だし、あちらこちらでそんなのばっかだな、そんななかで登場人物が揃いも揃って自分の意志で生きようともがく「問題のあるレストラン」は、実は裏で・・・とか、真実は・・・みたいな安易な仕掛けで引っ張らないという意味でさすがに志が高い、というあたりでそろそろ「ごめんね青春!」に戻ると)、視聴率はさておき将来大きく育ちそうな若手俳優たちを発掘してくれたと言う意味で業界受けは良かったのか、ギャラクシー賞テレビ部門2014年12月度月間賞を受賞した。

 

【『ごめんね青春!』ギャラクシー賞月間賞受賞理由】

ー隣接する仏教系男子校とカトリック系女子校の合併話を軸に、自分と異なる他者をどう受け入れるかをめぐる重層的な物語が展開する。宮藤官九郎の繊細な脚本に、スピード感ある演出、個性的な俳優陣が絡み合い、最後まで目が離せなかった。ド直球の青春ドラマであると同時に、自分と異なる価値観や意見をもつ人々を排斥しようとする時代の風潮への批評的ドラマでもあるー

 

つまり、イスラム国の時代を意識した現代的なメッセージが込められたドラマというわけか。それとも宗教の話ではなく(例の事件の起きる前だし)、右折レーンなネットの話か、ヘイトスピーチか。鶴瓶クドカンに対して、自分と異なる価値観や意見を持つ人々にまで受け入れられるドラマを書いていてはいけないというようなことを同じTBSの番組「A-Studio」のエンディングで言っていた。つまりは下手くそに褒める人間には一番気をつけろということだ。そこでゲストのクドカンの表情が明らかに変わった。

 

クドカン、相棒のTBSプロデューサー磯山晶との初めての昼ドラマはまさに高等遊民の生みの親である夏目漱石が「ごめんね青春」では女子高のほうの学長役の斉藤由貴に乗り移る2006年のTBS「吾輩は主婦である」。あまちゃんの父親の尾美としのり、「ごめんね青春!」では斉藤由貴の隣で際立って見せ場のない教頭役だった大人計画宍戸美和公も。脚本家はみんな漱石が好きだな。偽造防止された紙に印刷された漱石も好きだろうけど。

 

 2008年、1-3月にはテレビ朝日で「未来講師めぐる」。またしてもあまちゃんチームの足立梨花が早くも登場しているのも気になるが、主題歌はまたしても斉藤由貴及川光博がデュエットした「家庭内デート」。本人作詞、グループ魂の冨澤タク作曲、振り付けはクドカン妻の八反田リコ。あまちゃんでの小泉今日子薬師丸ひろ子のアイドル再生産は別にそこに始まったことでもないのがわかる。人間何事も継続すれば必ず報われるのだ。だから原点を忘れてはいけない。

 


2006tvs昼ドラ「吾輩は主婦である」主題歌・家庭内デート - YouTube

 

長谷川博己と杏がザ・ピーナッツの「ふりむかないで」をおそらくわざと不器用に踊る「デート~」のタイトルは、セットイメージからすると「最高の離婚」のエンディングを意識したのだろうが、どこを目指すのかいまいち中途半端で、結果としてはむしろこっちに近くなってはいないか。

 

「ふりむかないで」の作詞は、越路吹雪を長年にわたりマネージャーとして見守った岩谷時子である。もちろん「愛の賛歌」「ろくでなし」「ラストダンスは私に」などの越路吹雪の訳詩に加えて、加山雄三「君といつまでも」「お嫁においで」、沢たまき「ベッドで煙草を吸わないで」、郷ひろみ「男の子女の子」から「サインはV」まで煌めく名曲の数々を作詞。2013年死去。戒名は詞玉院超世時空大姉、詞は時空を超える。リスペクト。

 

「ふりむかないで」の翌年の「恋のバカンス」は旧ソ連でもカバー曲が大ヒットし、日本の曲だとは知られないまま国民的な歌になっているらしい。この年には「見上げてごらん夜の星を」、「こんにちは赤ちゃん」も。なんてすごい時代だったのだろう。人の心に詩があった。

 

悪い女だと人は言うけれどいいじゃないの今がよけりゃ。浮気な女だと人は言うけどいいじゃないの悲しければ。心に沁みる。相良直美「いいじゃないの、幸せならば」、聞いてみてください、この虚無感。爽やかな朝に聞くもんじゃないけど。

 

マネージャーといえば、クドカンの「少年メリケンサック」。こちらはかなり予定調和な虚無だけど、このしっかり者な女性に見守られるダメ男というテーマはクドカンの永遠のテーマか?

 

一方、おっさんが女の子を見守るとどうなるかというとプロレス。秋元康のAKBも川上アキラのももクロもやってることはつまり女子プロであり体型からしてやつらはデブなセコンドに過ぎないのだがどうでもいいのでとばしてクドカンに戻る。

 

クドカンは2008年には錦戸亮森下愛子の「流星の絆」があるが、流星と言えば、TBSで現在放送中の「流星ワゴン」。これも「ごめんね青春!」と同じ日曜劇場枠。「流星の絆」の東野圭吾と同じ直木賞作家の重松清原作である。父が息子を見守るといっても同い年という、かなりバックトゥザフューチャー的な。自分が過去の自分の家族を見守るし、父は未来の自分を見守る。自分の家族の過去を見守る西島秀俊香川照之も半分幽霊みたいなもので、まだ死んではいないらしい。クリストファー・ノーランの「インターステラ―」は、まだ死んではいないが遙か銀河の彼方にいる親に時空を超える愛の力で子供が見守られるという話だったが。

 

見守る幽霊といえば、パトリック・スウェイジとデミー・ムーアの「ゴースト ~ニューヨークの幻」。再三おすすめしている「ジェイコブス・ラダー」の脚本家、ブルース・ジョエル・ルービンの出世作である。日本で2010年に松嶋菜々子主演でリメイクされたがヒットしなかった。オリジナルは1990年、25年前である。その間に見守る幽霊は姿が見えなければいけない時代になっているのだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は幽霊ものではないので除外。あれは誰も幽霊ではない単なるタイムスリップものである。デロリアンをオデッセイに乗り換えながら、過去は変わるだの変わらないだのと幽霊ものとSFものとの境界線をめぐっての葛藤が見え隠れする「流星ワゴン」は、「ジェイコブス・ラダー」と「ゴースト」とをごはんにのせて現代日本の崩壊した家族をネタに味付けした重松清お得意の親子丼といったところか。原作読んでないから知らないけど。

 

ウォッシュレットが水だ。氷のように冷たい。氷の微笑か?ナインハーフか?わざわざ大阪までついてきてまでおれを見守る変態趣味な幽霊がいるのなら、さっさと出てこい。陰から見守る時代じゃないんだ。