ワタナベになりたかったんです。
渡辺、渡部、渡邊、渡邉、どれでもいいから。
ワカタベとかじゃなければ。
生まれてくる前に神様と約束して、
お腹の中にいるまでは渡辺さんちの胎児だったのに、
出てきてすぐに取り違えで別の家の子になった。
父親に抱っこされる度に激しく泣いてやったらそのうちいなくなった。
母親は若くて美人だったから何度も名前が変わったけど、
なかなかワタナベには当たらなかった。
中学の時、担任の先生が渡部だったからラッキーって思って、
付き合ってみたけど、結局無意味だった。
所詮、中学生なんだし。
大人になって、出会いが多いのかなと思って、水商売もやってみたけど、
みんな結婚話を持ち出すといつの間にか詐欺師みたいに姿を消した。
「ただワタナベになりたいんです。理由がないとだめですか?」とぶしつけに言った私に、
「改名はできますけれど・・・」と区役所の窓口の渡辺君はもどかしげに答えた。
「・・・?」
「僕、渡辺駿といいます。あなたがなりたいワタナベですね(笑)」
と素敵な笑顔で優しく言葉をつないでくれた彼は、結婚式の一週間ほど前に交通事故でこの世を去った。
ああ私はワタナベになりたいと思うから幸せになれないのだわ。
小さな紙切れにWatanabe って書いて、おふろのお湯に浮かべて、じっと見てた。
だよね。もうやめた。
Watanabeになりたかったのは過去の私。
明日からわたしは、わたしとして生きよう。