おっと、コーヒーカップを床に落としてしまった。
音がしない。
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いまごろか。
都市の過密化による騒音トラブルを避けるため、生まれてすぐに鼓膜を破る手術が義務付けられている。そのかわり、全ての音は網膜に映る映像入力に基づき、脳に仕込まれた特殊な装置によって、アテレコのように後づけされている。こういう音が鳴るはずだという音が脳内に鳴るのだ。そして、騒音のような、鳴ってほしくない音は鳴っていないものとすることができるのだ。
個人の好みでも様々なオプション設定が可能だ。かわいい恋人にいかにも不釣り合いなドスの効いた声を、天使の囁きのような声色に変えたりもできる。望むならば、だが。
しかし、さっきのように、バグが発生することもある。音のディレイのため、危険を察知できず、命を落とすような事故もあるにはあるが、生活面の安全は格段に向上しているので、そういう場合は余程運が悪かったのだと諦めればよい。
しかし、吹き替えられているのは、私たち自身も同じことなのだ。
私たちの会話は全て「システム」によって、音声合成で発せられている。もちろん、私の声帯の性質から予測される私の声だ。私は生まれてから、自分の喉で話したことは一度もない。
もちろん「システム」に、私が何を話したいかがわかろうはずはない。しかしそもそも「システム」は、私の話したいことなど気にしない。相手の現在の発言を解析し、過去のその相手との会話内容を参照しながら、適切な文章を形成するだけだ。もちろん、相手も同じような形で話している。「システム」のなかでの自己完結にすぎない。それでも私たちは、「システム」のおかげで、コミュニケーション不全による不要なトラブルを避けることができる。
このけがれなき世界は、このようにして、今日も美しい響きの中に保たれている。